「これから、僕が出会った、地方で幸せを見つける若者たちについて書いていこうと思います。僕のなかでは、彼らのことを『ローカルヒーロー』と呼んでいます。」という文章から始まる本。
言わずとしれた?ソトコト編集長の指出一正氏の著書。
2016年12月発刊。 ほぼ1年前か・・・ 私が買ったのは、2017年の夏だったように記憶している。
浅草でやっていたパーリー建築の活動展示イベントに顔を出し、その場で買ったのだった。
影響力のある人であることは間違いないわけで、一度、ちゃんと読書感想文を書かないとな~と思っていた。 折しも1月に発売された「ソトコト」が「関係人口」。
自分としては、地元に移住したいと思っていないわけで、 じゃあ、自分はどういう立ち位置なのかしら、と考えたいたここ1年くらい気になっていた言葉であり。
なんてゆうか、いよいよバズワード化してきたな、これ!という時期に来ているな、と考えていたりもして。
そういう話を時々、地域友だち?であるところのNとメッセージでやり取りもしたりもして。 そういうウェーブが来るときは、地道に真摯に地域に取り組んでる人がその流れにのみ込まれそうになってしまったりして疲れてしまうのではないかという懸念もあるね、という話とか。
自分はどうやって応援したらいいのかね、ということを思ったりもして。 自分には何もできない、けど、何かできたらいいな、と思って、再読してみたわけです。
読んだ結果を自分の中で咀嚼してプチ発信できたらいいな、というのが理想。
いや~それにしても。 どこを切り取って発信したらいいか迷う本ですよ(笑)。
「ローカルヒーロー」なんて、キラキラした言葉使って、若者をだますなよ!とも思う気持ちもあるんだけど、 読み進めれば、別に理想形だけを描いているわけじゃないというか、
うまく言えないけど、「ああ、この人、全部わかっていて書いてるのね」というか。
「ローカル」という世界を「8年見続けてきた」だけに選りすぐった人々を、言葉を選んで書いている、というか。 この指出さんは、どこまでいっても「編集者」なんだな、と思う。
ジャーナリストではない。研究者でもない。 「良い点」にスポットを当てて、世の中に紹介する、それがしみついているから本の中身もどうしてもそうなるのだな、と。 それが悪いわけではまったくないのだけど、読むほうはそういうものだと思ってちゃんと読まないとだめだよな、と。
別に隠そうとして書いているわけではない、というのはわかることなんだけど。
「ソトコト」の歴史・・・「ロハス」から「ソーシャル」に移行していった流れが詳しく書かれているのは読んでいて興味深かった。 それは同時に編集長が感じる「世の中の時流」でもあり。
ローカルへの流れは「震災以降」の文脈で語られることが多いけど、その芽は2008年のリーマン・ショックにすでにあったことに言及する。
P19 リーマン・ショックは、人々の価値観を大きく揺さぶった出来事でもありました。僕はリーマン・ショックが起きなければ、いまのようなソーシャルな盛り上がりはなかったのではないかとすら考えているのです。それは、ここ数年の取材で地域の若い人たちにインタビューするごとに、いまの暮らしを始めたきっかけとして「リーマン・ショックで世界が思いのほか脆いことにショックを受けたから」という答えをもらったからです。(略) 特に、いまの社会システムでいいのか、その先の未来に自分たちの幸せはあるのか、と真剣に従来の価値観を見直そうとしたのが若い世代でした。
「編集者として、この新しい胎動をレポートしなければ」という思い、 「『ロハス』に変わる新しい価値観を提案しないといけない」という思いを抱えていたのが2010年頃。
その後、ほどなくして震災が起こる。
被災地に向かう若者を見ていて思ったという言葉・・・
P27 テクノロジーが急速に進化し、僕たちには新体制のともなわない経験値ばかりが膨れ上がっていいます。そんななか、「リアルな地方」に出会った若者たち。その衝撃は計り知れないものがあったでしょう。
3.11の直後に「ソトコト」の編集長になり、ロハスに変わる価値観として「ソーシャル」を据える。 「地域」×「若者」=∞の新しい未来・・・
いや、なんてゆうか「キラキラ」してるのよ。 分かるんだけども。
「若者」って誰なんだ、と。 そういうもやもやをどうしても感じてしまう。
いや、わかってて書いてるというのはわかるんだけど。(←まとまらない) まとまらないこと覚悟で、メモっておきたいことや「2018年のじぶんはいまこうかんがえている」をかきのこしておきたい。
P39 よく、若者は「自分探し」をするといわれますが、いまの若者たちは自分を探しているのではなく、自分が手ごたえや実感を得ながら暮らせる「居場所」を探しているのです。
P58 日本の経済が低迷している時代に生まれ育ってきた若い世代にとって、お金という価値観と物質主義の象徴である都会はそれほど魅力的ではなくなってしまいました。そんな時代の変わり目に、いまの20代が日本のローカルを発見したわけです。彼らがいま、地域のなかで誰の真似でもない、自分の暮らしを自分の手でつくっている作業は、新しい日本地図をつくっているようなもの。
パーリー建築は、特にその最前線にいるような気がします。彼らはきっと、上の世代とはまったく異なる視点と意識でこの国の地方の未来と出会い、自分たちの居場所を見出しているのだと思います。
キラキラした紹介の仕方だなあ・・・
いや、いいんですよ。 わたし、パーリー建築好きだし。 でも、例えば23時台のNEWSで紹介された彼らにはネットで「建築基準法とかどうしてるの?」と批判が巻き起こったことも事実で。 そういうマイナス面をまったく書いていない文章というのはかえってうさんくさく感じてしまうのだよ。 (本のほうが先だったけど、そういうことに大人として思い至ってなかったわけはないだろうし・・・)
まあ、そういうマイナス面を書かないことが「編集者」なんだろうなあ・・・
ちなみにいま、某友だちとの間で、「ローカル大好き♪」というはしゃいだ人々のことを「地域パリピ」と揶揄して呼んでいるけども、 これはパーリー建築をdisるつもりはない、ということだけは書いておきたい。
ローカルに「パーリー」を持ち込んだ彼らは圧倒的だと思っているし、そこには自分たちなりの問題意識があったと思うから。 ただ、彼らのやり方を安易に真似してんじゃない?という「パリピ」のことはちょっとどうしても冷めた目で見てしまうかもしれない・・・そんな2018年。
P66 それぞれの移住の決意を聞き、新しい世代のソーシャルプレーヤーたちが登場していることを実感しました。ひと世代前に「社会活動家」といわれた人たちは、「社会をよくしたい」という信念のもと、より大きな地球規模で社会全体をとらえて、そのなかで世界の貧困や格差、エネルギーや環境問題といったダイナミックな課題を探し、手間に据える傾向が大きく見てとれました。
でも、パーリー建築もそうですが、ペンターン女子たちはもっと普通のこととして社会とのかかわりを持とうとしている。そこで、自分たちに何ができるかを当たり前に考え、自然体で行動している。そうした新世代のローカルヒーローたちを僕が「ソーシャルネイティブ」と呼ぶのはこのためです。
P72 地方やソーシャルの分野は、夢や希望に溢れています。それは、自分が関わって起きることがダイレクトに感じられ、大切な役割を果たしているという存在感を自己認識しやすいからかもしれません。そしてもうひとつ、3年後、5年後、という近い未来をつくる行為を仲間やコミュニティで共有できる高揚感も理由に挙げられます。
ただ問題は、きちんと収益を上げて持続可能な経済のしくみができているところがまだまだ少ないことにあります。僕らメディアも含め、地域を元気にする担い手は、「地方が盛り上がってきた」「日本の田舎が面白い」とローカル視点では語れますが、続けていくため、稼ぎを生み出すためにはどうすればいいかという視点で語ることができる人はあまりいません。それも、経済の専門家や研究者ではなく、地域の最前線で活躍しているソーシャルプレーヤーとなると、希少です。
そう、こうやってちゃんと「持続可能な経済のしくみを作れているところは少ない」とかちゃんと書いてくれているわけですよね、この本は。
この本では何人もの人が紹介されているけど、みんな「関係人口になろう」と思ったわけで活動を始めたわけではない。 自分の問題意識、やりたいこと、、、それに取り組んでいるうちに、知らず知らずに「関係人口になった」。
そこだと思う。 手段と目的を逆転させてしまうことは、なぜか、よくあることだけど、 ブームが来るとそういうことが起こりがちになってしまうので・・・それは避けたい、というか、 そっと教育?育成?していけるようなことが出来たらいいなあ・・・ って、口で言うのは簡単なんだけどね。
P77 やっぱり僕たちは、その対局にある「手間ひま」かけられたモノに魅力を感じ、つくり手の顔が見える安心感を求めるもの。だから、どんなに社会が「大資本」vs「手間ひま」に二極化したとしても、丹精込めてつくられたもののぬくもりや味わいに対する需要はなくならない。むしろ、スピードや量を競う時代ではない現在、誠実さや安心を求める「手間ひま」志向の人は今後さらに増えると思います。
このへんが「わかるけど・・・うーん・・・なんかうさんくさい・・」と思ってしまう。 なんでだろうか。 本当に「つくり手の顔が見える安心感」を求めてる人って増えてる?
いや、そういう人がいるのはわかるんだけど。 なんか、こう極端な書きっぷりを感じてしまう・・・ いや・・・でも、それが編集者・・・
P78 「買い手は自分の信頼する生産者や、信頼する仲間がすすめるモノを買う。贈り物をするときもそういうモノを贈る。つくり手は信頼できるお客をほかの信頼でつくり手に紹介する。つまりお客もシェアし合う。これが僕の考える『仲間経済』」です。」
P79 ポンさんが「仲間経済」の可能性を語る背景には、ソーシャルメディアの発達があります。マスの情報しか扱えなかった時代から、スモール、ローカル、パーソナルが発信力のあるメディアとして成立する時代になった。大量規格生産によって失われた個性や、その地域ならではの特性が見直されているいま、「仲間経済」が地域の伝統産業や小規模事業主、家族経営を支える力になると考えるからです。
「仲間経済」という概念はわかる。 それが持続可能な経済になりえるか、は別として、自分も最近は知っている人のものだから、という理由でものを買うことが増えた。
昔はそれで商売が成り立っていたはずだし・・それでうまくいく人が増えたらいいな、と願っているのは事実。 で、それ関連で最近感じることとしては・・・前にとある知人(尊敬する”旅するデザイナー”)がブログで少し触れていたけど、
「お友だち価格」との戦いなのではないかな、と思う。 買う側もモラルが求められるというか、ちゃんと利益を出させてあげよう、というかそういう気持ちで買わないといけないよね、と思う。 供給者側はどうしてもサービスしたくなっちゃうわけだから。
「ローカルにはファンタジーがある」と何度か書かれていたけど・・・ ファンタジー・・・わからないでもないんだけど・・・ 「パラダイスではないよ」ということかなあ。
P96 中山間地域にしても、里山里海といわれている場所にしても、彼女たちのような感受性の高い世代が旅をすることで、経済優先の社会が肥大するなかで忘れ去られようとしていたものが、じつは僕ら日本人にとってかけがえのない大切な宝物だったということに、ようやく大人世代も気づきつつある。そのきっかけをつくってくれているのが、地方に魅力を見出している若い人たちの存在なのだと思います。 若い世代が日本を再発見しているのは、ひとつに現在のまちづくりの中心世代との年齢差が大きいでしょう。50代から上の世代が地域の牽引役であることが多いため、育ってきた環境がまったく異なるいまの20代の視点と違っていて当然です。むしろ、上の世代のみなさんは、その視点の違いを楽しんだほうがいいと思います。47歳の僕自身、世代間ギャップは感じています。ただ、それを異質なものとして扱うのではなく、自分では気づけなかったり、発見できなかったりする価値を彼らが示してくれる。特に、地域の潜在的な宝に関しては、断然若い人のほうが見つけるのが上手です。
こういうことを地道に浸透させていってほしいと思う。 けど、それを声高にやればうさんくさくなってうまくいかないことを・・・わかってて、敢えて上の世代への啓蒙は控えめにやっているのかなあ・・・わからないけど。
「十日町市地域おこし実行委員会」の多田さん、の話。
P126 多田さんは地域おこし協力隊としての3年の任期を終えると、迷わず「地域おこし実行委員会」に就職。池谷集落の地域づくりを常に自分ごととして中心に置いていた多田さんは、地域と自分のより深い関わり合いについて、「本番は地域おこし協力隊の任期終了後」と考えていたそうです。土地との関係性を構築することに関しても、中長期のビジョンを持って冷静に現在と対峙している多田さんは、僕にとって尊敬すべきローカル・リアリストです。
P129 取材に伺った際に、ふと集落のみなさんに「多田さんが来てどう変わりましたか?」と聞いてみました。すると、「何も変わってない」との答えが。しかしその後、多田さんが来て5年が経った池谷について聞いてみると「この地図に書かれていることは全部実現している」と、みんなが口を揃えてうれしそうに話してくれました。 これは、多田さんの地域への関わり方とアプローチの仕方を教えてくれる、いいコメントだと思いました。つまり、一歩一歩地道にやっているから、特段派手なことをして変わったという印象にはならない。でも、のちのち振り返ってみたら、じつは大きく変化していたというわけです。多田さんが地域のファシリテーターに徹していることをよく表していて、僕もなんだか幸せに感じました。
多田さんが池谷集落の人々と目指しているのは、田舎と都会がお互いに足りないものを供給し合いながら、それぞれの生活を、安全を、経済を循環させるしくみづくり。しんしんと降り積もる雪のように、多田さんの挑戦は、静かに着々と進んでいくのでしょう。
この「多田さん」って人もそうだし、さすがによりすぐった人々が紹介されているなあ・・・と。 地域で何年も腰をすえてじっくり取り組んだ人。 それは「地域パリピ」にはできないことだと思う。
島根の海士町の事例でも、移住したのは2008年。 それから何年もの時が経っている。 「ローカルヒーロー」なんて持ち上げ方をしつつも、そこは地に足ついた人たちをちゃんと紹介しているんだよなあ・・・
P141 特に、移住してしばらくの間は、地域の人たちとの対話を重視してきたといいます。海士で求められているものは何か、自分がやろうと思っていることと、地元の人が描く未来に齟齬はないか-。そうした模索に約2年間、しっかりと時間をかけ、メディアの取材も断って他地域の事例にも目を向けず、海士町とだけ向き合ってきたのです。 P141 何をもって成功とするのか。メディアに取り上げられ、ひっきりなしに取材が入り、ヒーローのように取り上げられることなのか。安部さんは何よりも思慮深く、「地域の未来」を優先して、長期的にものごとを考えていたのだと思います。ブームというのはとても怖いもので、人でもまちでも、大きなメディアで一方的に持ち上げられて、そのブームがいったん去ってしまえば、まちの盛り上がりの空気をふたたび戻すのに何倍ものエネルギーがかかります。場合によっては、ブレイク前のいちばんいい流れにはもう戻れないかもしれません。 このへんとか、「わかってるじゃないか、ちゃんと・・!」と思うもの(笑)
P149 地域で自給自足に近い暮らしをつくりたい人たちは増えています。特に若い世代は、太陽光発電で暮らしてみたいとか、できればオフグリッドにしてみたいといった意識が強い。それは主義や思想としてエネルギーや環境の問題を重く受け止めているというより、自分の暮らしを自分でつくる、その手ごたえが何にも代えがたい喜びだからなのでしょう。
それは、何度か触れているように、自分がちが無意識に消費してきた食べものや電気や水がどうやってつくられ、どんなルートで自分が手に入れているのかが曖昧な暮らしより、食べものもエネルギーも、暮らし全体が自分でハンドリングできることの安心や楽しさを求める、新しい意識の層が着実に増えているからだと思います。
わたしはこういう「オフグリッド」うんちゃら、はぶっちゃけ好きではない。
そういう生活を追求するのは止めないけど・・・偉そうにするな、と言いたいのかもしれない。 だったらスマホも使わず、山小屋で狩猟・農耕だけするなら許してやる、というか。 なんだかんだ言っても都市でインフラを支えるためにサラリーマンとして働いている人の恩恵をゼロにはできないわけで。 そのことをちゃんと肝に銘じておいてくださいよ、と思うわけです。
わかんないけど・・・ イメージとしては、「暮らし全体を自分でハンドリング」とか言いながら、Amazonでもの買ってる人いねえだろうな、という邪推(笑)
P151 もう、、背伸びをして、身の丈以上の物語をつくり込む時代はとうに過ぎました。ちょっとずつ、調整を加えて人生や暮らしをつくっていくこと。僕はまちづくりにも通じる考え方だと思っていて、従来のハコモノ的なまちづくりでは、先に計画があってそのプランに基づいて完成を目指すというのが基本でした。でも、いまの時代の人たちは、ゴールを決めずにとにかくやってみようと走り出す。その途中で、うまくいかないところが出てきたら、都度都度で修繕や補強を施しながら進んでいけばいい-そんな推進力のある世代が、まちづくりを大きく前進させるいい流れになっているのを僕はあちこちの地域に見ていて感じています。
P153 未来のことなど誰も予測できない時代に、収益や人数などを見込み、大きくて新造の施設の完成形ありきでスタートするプロジェクトの座組みはもうやめたほうがいいと思います。未来がはっきりと読めないのならば、いまのことを考えたほうがずっと建設的です。いまが面白くなければ、、未来も面白くなりません。
これも言わんとすることはわかるのよ。
わかるんだけど・・・これを曲解したばかものが、あまりに考えなしに、地域に土足で上がり込んでいる事例もありますよね、と。 その功罪が無視できなくなってやしませんかね、と。 「無鉄砲」と「実行力がある」は似て異なるものですよね・・・
まあ、そのバランスや匙加減が難しくもあるんだけど。
ウサヒの中の人の言葉として書かれていた言葉。 これを読むと、筆者は本質はわかったうえで、あえてポジティブな本や雑誌を書いていることがよくわかるよなあ。。。
P176 「現在の地域おこしの主流は、若者が地方に入っていけば、いろいろといい流れができて、結果的に地域が元気になるのではないかといった希望的観測に依るところが大きい。でも、そんな楽観的なイメージだけでうまくいくとは思えません。」
P183 彼は社会の課題や地域づくりというのは、真剣に向き合わなければいけない要素ではあるのだけれど、真面目に取り組みすぎると人がついてこないことを感覚的に理解しているのだと思います。(略) この、真剣なテーマを少しずらした角度から取り組む、というのはじつは僕が常々『ソトコト』を編集するうえで意識しているこだわりでもあります。(略)誰しも、自分ごとであれば真剣に考えますが、多くの人にとっては他人ごとだからです。その他人ごとを、どうすれば自分ごとに引き寄せられるか。そこに編集者としての力量が試されます。
(略)社会課題を扱うときに、こうした問題に関心が高い人たちには伝わりやすいのですが、僕たち編集者の目標は、関心のない人にこそ読んでもらい、知ってもらうこと。そのためには、いかに「やわらかく、軽く、面白く、オシャレ」に、つまりライトにつくるかが大事なのです。
ここまで言い切られてしまうと、返す言葉はない。 いや、全然、それが悪いと思っているわけではないのだけど。 繰り返しになるけど。
P199 ここ8年ほど、日本の各地域で起こっている魅力的なプロジェクトを定点で観測させていただいていますが、もちろん、出会いと別れは多々あります。なかには、残念ながら解散や休止となっている活動も見受けられます。20代、30代の若い人たちにとっては3年もあればライフステージは意外と大きく変わります。だから、僕が見続けているこの8年は大きな人生の変化がたくさん起きるのに十分なスパンなのです。
P208 僕は常々思うのですが、地域が元気になるためには、若い力だけでもだめで、上の世代の力だけでもなかなかうまくいきません。 そもそも、日本人の生活の優れている点は、白か黒かの境界をつくらずゆるやかになだらかにつながっていく文化です。里山もしかり、日本家屋もしかりで、そこには内と外が自然につながる上手なしくみが存在しています。コミュニティもこの価値観に則っています。 日本の各地で若者たちが表に出て、盛り上がっている地域を訪ねてみると、そこには必ず先輩世代の大人たちの姿が背後にあります。表に出るのは、若い人たち。でも、彼らの舞台を細やかに調整したり、背中を押したり、便宜を図ってくれている大人がいるかいないか、若い世代と高齢者の世代がよどみなくしっかりと交流できているかどうかで、その土地の盛り上がりは異なるように思えます。寸断されていないコミュニティの構築は、このような世代間のつながりによって生み出されるのでしょう。
これは、地域に限ったことだけじゃないかもな~。 会社でもそうだよね、と。 いつまでもプレーヤー然としている上の世代がいる組織は育たないのだよねえ・・・
ということを考えていて思ったけど、問題は誰が「若い力」なのかがよくわからなくなっていることかもしれない。 自分も、前の部署だとそれなりに「ベテラン」で若いものを見守る立場だったけど、
いまの部署ではむしろ「若手」。 50代とか「若手」ですよね、地域では。
けど、入り込んだ20代、30代からしたら「上の世代」ですよね。 そのへんのギャップのありなしはもしかしたらあるのかもしれない。
P211 『ソトコト』は、環境問題を扱っている雑誌なので、そうした表現には非常に敏感です。どんなに正しいことでも、人に受け入れられなければ広がりません。大上段に環境問題を振りかざしても、人々が素通りしてしまうように、農業や食の問題も「こうあるべきだ」というはっきりとした正論だけでは届かないのです。
しっかりとした編集ポリシー・・・
これはこれで学べました。 そう、「べき論」だけでは人は動かない、というのはその通りだしね。
P224 地域の幸福度は「人口」ではなく、「独自性」や「カラー」ではかる時代になっているのです。地域のカラー、個性、特性。さまざまな言い方がありますが、要は、それを「価値」として共感し、求める人たちに届くメッセージをつくれるかどうかがポイントなのっです。
P230 今は昔のように対抗勢力を原動力に行動する時代ではありません。若い世代は、自分たちが面白いと思うことをやりたいだけで、先輩世代を否定したり敵対しているわけではないのです。そのことに早く気づいてもらえたらなと思います。 若い人も、同世代だけで連帯するのではなく、異なる世代の先輩方とのつながりと持つといいと思います。
こうやって上の世代や若い世代の「つなぎ目」としての役割をちゃんと果たそう、としているこの方はやっぱりなんだかんだあっても凄い人なんだと思う。
直接お会いしたことは無いものの・・・彼の心の「火」が消えないように、誠実な仕事ができるように祈っている、というかなんというか。
いやはや、ほんと、感想が難しい本でした。 けど、学びにはなる本でした。
個人的には・・・2017年から2018年にかけて、ここに書いてあった方々何人か直接お目にかかる機会があり。 そうやって直接自分の目で見れたことも貴重な経験だったな、と思います。 キラキラした姿ばかりじゃない・・・ けど、もがいて試行錯誤して頑張っている、ちゃんとした「人間」だと思う。 そういうことがわかっただけで、楽しい人生だな、と思っては、いる(飛躍)。
はーーーー、本に向かい合うって体力使うわあ・・・ こうやってつらつら書き連ねるだけでも3時間近くかかる・・・ 課題。
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